上司とPATAの終活記録 ~ ♯8 死去編 ~

上司とPATA

上司とPATAの終活記録の第8回目の記事になります。

 

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2022年の11月から本格的に上司の住む青森県八戸市に来たわけですが、遂にこの時が訪れてしまいました。

2023年8月24日の16:57に上司はこの世を去ってしまいました。

 

 

前回の#7の記事を書いたわずか3日後の出来事でした。

 

詳細を記していきたいと思います。

ご覧ください。

 

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※この記事にはプロモーションが含まれています。

最初の4日間

2023年8月15日の朝、上司は病院へと向かい入院をすることとなりました。

細かい入院までの経緯は前回の#7をお読みください。

グループホームへと向かう娘さんを見送り、自ら病院へと向かいます。

 

病院到着後上司から電話があり、昨年手術した膀胱癌の療護の検査予約が別の病院であったのをキャンセルして欲しいとの内容でした。

今思うと、娘さんにとっては上記の見送り時の「いってきます!」→「いってらっしゃい!」の会話、PATAにとってはこの電話の会話が上司との最後の会話になってしまいました。

 

入院後、LINEを使いその後の体調面や他愛も無いことを日に数度送るといった状態です。

娘さんやPATA以外の心配している方々にも入院後、『入院することになったけどそんなにすぐ行くことはないと思う』といった内容のLINEを送ってくれていました。

元々LINEのレスポンスが良いタイプではありませんでしたが、返事は数回に一度はあり『既読』の文字が拠り所のような安心となっていたわけです。

 

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最後の6日間

入院5日目の8月19日土曜日の夜、近所に住む家族ぐるみでお付き合いのある方が娘さんを地元の花火大会へと誘ってくれました。

自宅からも打ちあがる花火が綺麗に見えていたので、それを動画に撮り上司へとLINEを送ります。

後に聞くことになるのですが、この8月19日、20日の土日にかけてガクッと上司の体調が悪くなっていたようです。

 

一向にLINEの『既読』が付かなくなり、8月21日の月曜日。

私PATAではない上司の別の部下が病院からお遣いを頼まれます。

お遣いの品を購入し病院へと届けに行った際に、数分程度上司と対面をしますがこの時点で上司の声はほぼ出ることが無い状態になっており、横になった身体を自力で起こすことが出来なくなっていたようです。

その部下からすぐに連絡があり、「一生懸命話そうと口をパクパクさせてるけど、全く声が出ていないし、自力で身体を起こすことも出来ない。これは8月中かもっと早いかもしれない。」と報告を受けました。

 

今回の入院では手術をするわけでもないし、治療をするわけでもないとわかってはいましたが、なんとなく帰るべき場所があったほうが良いよなと思って残していた老人ホームも解約し荷物を引き上げることに。

他には、遠方に住む上司のご親族や上司の亡き奥さんが眠る菩提寺にも連絡し、状況説明を行い今後の万が一の際の確認を行いました。

 

危篤の知らせ

そして、8月15日に入院しわずか10日後の8月24日に病院から危篤の知らせが入り、娘さんと一緒に病院へ向かうことに。

上司の入院する部屋へ入ると、上司は苦しそうな表情を浮かべてはいるものの目は見開いており、なんとなくではありますがこちらの声にも首を動かし頷くような動きをしてくれています。

声が出せない上司のために筆談用の紙とペンがあったので、娘さんにそれを渡し「お父さんに何か書いてあげれば?」と伝えます。

 

すると娘さんは『お葬式はいつやりますか?引っ越しはいつやりますか?』と書いたものを上司へ見せようとしていました。

当然、娘さんに悪気はないので慌てて受け取りそれらを消し、『これからも頑張るので応援してください!』と書き直してもらいます。

PATAも『今後のことは決めた通りに間違いなく進めるので安心してください!』と書き添え上司の目の前へとそれを近付けます。

 

うんうんと二回頷いた上司の冷たくなった手を握り、病室を後にしました。

その時、生前上司から聞いた話を思い出していました。

上司の奥さんも癌を患っており自宅で晩年を過ごしていた際のことです。

 

「『〇〇〇(娘さん)のことは心配いらないから安心してくれ』とカミさんに最後話したんだよな。」

 

なんとも言えない感情が込み上げ、次から次へとポロポロ涙が流れてきてしまいます。

そして、娘さんと会えてホッとしたのか病院を後にしたわずか30分後、上司は息を引き取りました。

 

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娘さんについて

病院を後にし、娘さん待望のちょっと離れたスーパーへと向かい買い物を終えた辺りで訃報の連絡を受けました。

 

娘さんにお父さんが今さっき亡くなったよと伝えると、

 

「えー。お父さんも古希(70歳)迎えたかったのにー」

「2024年は年賀状無しですね」

「お父さんの手冷たかったよね」

「68年の生涯でしたー!(拍手)」

 

といったリアクションです。

 

上司に万が一があっても、娘さんが取り乱したり、泣きわめくことはないだろうと想定していたので、有難くもある反面、上司を思うとちょっとだけ気の毒かなと思わずにはいられませんでした。

なんだったら、あちこちへ泣きながら連絡を入れる私PATAを元気よく慰めてくれる娘さんの元気に救われ、より一層頑張らないといけないなと改めて思った瞬間でもありました。

 

盛大なお葬式

上司の愛車『クラウン』を斎場の前に

 

青森県八戸市という地域柄お葬式のやり方が若干異なります。

 

 

【東京】お通夜 → 葬儀・告別式 → 火葬 → 納骨

【八戸】火葬 → お通夜 → 葬儀 → 納骨

 

上記のように八戸のお葬式は『骨葬』と呼ばれる形になっており、執り行う順番が異なっているのですが今回の上司のお葬式に関しては、八戸以外の他道府県からも多くの会葬者が見えられる兼ね合いもあり、東京ver.で行うことにいたしました。

 

8月24日の没日から約1週間先の8月30、31日の日程で行うことが決まり、上司の身体の状態が悪くならないように『エンバーミング(遺体衛生保全措置)』を施しその日を待つことに。

 

1.消毒・殺菌
感染症の原因となる病原菌・ウイルスの有無にかかわらず、危険な感染を防ぐために、ご遺体の消毒・殺菌を行います。

2.腐敗の防止
ご遺体は、死後すぐに体内から腐敗が進むので、できるだけ早く薬剤で腐敗防止を行わなければなりません。処置を施すことにより、臭いもほとんど感じられなくなります。

3.修復・化粧
処置を施すことにより、生前の安らかなお顔を取り戻し、故人に対してご遺族の心にいい思い出を残せるようになります。

4.心ゆくまでのお別れ
衛生的に安全となったご遺体と心ゆくまでゆっくりとお別れできます。10日から2週間程度は安全に保たれます。

 

引用元:一般社団法人 日本遺体衛生保全協会

 

実際の祭壇写真です

 

葬儀費用をお安くするならごじょクル!

 

上司は葬儀業界に40年以上貢献した業界内ではそれなりに名の知られた有名人だったということもあり、200名弱のご弔問と80基を超える供花をいただき生前の意向とはだいぶかけ離れた規模でのお葬式へとなっていってしまいました。

 

 

甲状腺未分化癌の発症後は、出勤する頻度はめっきりと減ってしまいましたが、生涯現役を貫いたこともあり内容としては社葬に近いものだったと思います。

東京・大阪・京都・四国・秋田・山形・北海道と全国津々浦々より、多くの方が弔問に訪れてくださり、病気を公にしていなかったこともあって突然の訃報に皆さん驚かれていらっしゃる様子。

身長が低く太っていて、信楽焼の狸のようなお腹がトレードマークだった上司のピーク時の体重は80kgほどだったと思いますが、40kg前後しかない上司の姿はより一層の悲しさや病気との戦いを物語っていたようです。

 

最後の上司とのお別れの際には、棺の中に色とりどりのお花を手向け、近しい人の手で『末期の水(まつごのみず)』ならぬ『末期のコーラ』を行いました。

上司のコーラ好きはみなさんも知っていたので、「〇〇さん(上司)らしいな」とみんな喜んでくださり、私PATAとしても闘病期間中は飲みたくても飲めなかったコーラが飲めてどこか嬉しくもあり、こうなってからじゃなきゃ飲めなかったんだよなと少し悲しくもあった次第です。

 

他には、私PATAが生前の上司から託されたことの一つにご親族の方への対応がありました。

病気になってから以降も事細かな詳細や状況を伝えていなかったこともあり、今後の娘さんのことを心配されていたので、この1年弱をかけて決めてきたことの説明をさせていただきました。

 

「〇〇さん(上司)らしいね」

 

ここでもやはり『らしい』の一言をいただき、せっかちな上司らしく「段取りをしっかりと組んでPATAさんにお願いしていたんですね」とご理解賜ることが出来ました。

そして、上司の仕事のことをなんとなくでしかわかっていなかったご親族は口を揃えて「こんなに立派で偉い立場の人だとは思っていませんでした」と驚かれていました。

 

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まとめ

と、いうわけで怒涛の時間を過ごして参りました。

 

葬儀費用をお安くするならごじょクル!

 

今年の3月に東京へ帰ったっきりだったので、上司のお葬式へ来てくれた仲間と久しぶりに話したり愚痴ったりもしたかったのですが、上司の生前の意向を尊重し、徹底的に娘さんとご親族の接待に終始しほとんど話をする機会がありませんでした。

自分の中の体感として沸々と湧き上がっているのが、『話したい!喋りたい!』という欲求です。

上司の晩年は体調も悪く会話というよりかは、上司の愚痴を聞くことがメインになっていたし、娘さんとの会話も、会話と言うよりかは娘さんが話したいことを一方的に話すって感じだし、深層心理として『ちゃんとした会話がしたい!』というストレスが日々増しているんだなと。

それでも有難いことに上司や娘さんだけではなく、私PATAのことを心配して連絡をくれる人もいるので、その方々には本当におんぶに抱っこで話しを聞いてもらい、精神の安定をどうにか保てているのかなと言った状況です。

 

少しゆっくりのんびりしたいのは山々ではあるものの、相続関係の手続き娘さんの食事の準備にお出かけグループホーム化へ向けた打ち合わせ法事の準備上司の持っていた法人の手続きなどなど…

やらなきゃ進まない事しかありません…

 

ちなみに余談ですが、娘さんから「今日の食事はなんですか?」と毎日煽られるので世の中のお母さんがよく話す「今日の晩御飯どうしよう?」のツラさが今のPATAにはわかります。

本当にマジで考えるの大変です。

 

三ツ星ファーム

 

とりあえず、ここで上司とPATAの終活記録も折り返しです。

あとは、上司の意志を引き継ぎ娘さんの今後の生活が整うようにしていくのみです。

引き続き、頑張りますのでひっそりとで構いませんので応援していただければ幸いです。

それでは、最後までお付き合いいただきありがとうございました!!

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pata37

37歳にして遅咲きのニートデビューを果たしました!!
独身、無職、肥満を武器にブログに挑戦します。
面白いこと、お金のこと、音楽のこと、映画のこと、そんな辺りを書いて行けたらな―と思っています。
この度、映画情報サイト『シネマヒッツ』にインタビュー記事が掲載されましたので、合わせてご覧ください!

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