『上司とPATAの終活記録』の第10回目の投稿になります。
上司が2023年の8月に亡くなって、季節は夏から秋、そして厳しい冬へと移り変わり、3月を迎えもうすぐ春がやってこようとしています。
が、しかし、私PATA現在も絶賛青森県NOWでございます。
前回の記事投稿から年末年始を挟み約2か月強が経過した現在の状況を記しておきたいと思います。
それでは、ご覧ください!
恐怖の年末年始
上司の娘さんには、世間一般的な年中行事が全て頭に入っているという大きな特徴があります。
それに付随して、カレンダーや日付がとにかく好きらしくイベントが近付くにつれて興奮状態のような危険過ぎるモードへと変わっていきます。
年末年始は皆さんご存知の通りイベントが目白押しなわけでして。
- クリスマスイブ
- クリスマス
- 忘年会
- 冬休み
- 大晦日
- お節料理
- 初詣
- 年賀状
- お年玉
- 新年会
一見すると全く関係のないイベントも多いような気がしますが、娘さんなりの解釈でこれらは全て関係があることになっていくわけです。
一部抜粋してエピソードをご紹介していきたいと思います。
クリスマス編
クリスマスのことを世の中の誰もが意識していない夏頃から、虎視眈々と洗脳するかのように「ケーキやチキンやピザが食べたいですね」と呪文のように唱え始めます。
日常的にスーパーで売っているようなケーキを頻繁に買っていることを知っていたので、「クリスマスや誕生日が関係なくてもしょっちゅうケーキ食べてるでしょ?あれは何のケーキですか?」と言ってもはぐらかすだけで、娘さんの欲求は常に前向きであり一方通行なのが基本です。
そしてクリスマスを迎え、さすがの私PATAも根負けし「ケーキでも買いに行くかー」と思ったその刹那、ピンポーンと自宅のインターホンが鳴り身に覚えのない宅急便が届きます。
送り主を見ると娘さんの伯父さんにあたる方からのようです。
小包を開けると中からはケーキが…!?!?
そうです。
娘さんは私PATAの洗脳を早々に諦め、遠方の親戚の洗脳に着手し見事ケーキをGETしていたのです。
娘さんの性質がわかっているようで、まだまだわかっていなかった新たな側面を垣間見た瞬間でした。
娘さんの携帯の電話帳には10件程度の連絡先しか入っていないのですが、縦横無尽に連絡しケーキをねだっているのかもしれないと焦ったのは言うまでもありません。
幸いにもケーキはその一つしか届きませんでしたが、それにしても恐ろしい執着です。
初詣編
2019年の元旦から始まったこちらのルーティーン。
八戸市の中でも、とりわけ群を抜いて参拝客が多く有名な神社『櫛引八幡宮』への元旦の初詣も娘さんにとっては欠かせない行事の一つです。
元旦早朝7時前に出発し混雑する前にお参りをすませ、途中ローソンへと寄りカフェラテを購入しお気に入りのデパートへ行くというのが、娘さんの中での決定事項です。
ちなみに付随している神社での決定事項として、前年に買ったお守り、お札、干支の人形などをお返しし、再度同じようなものを購入するのも決められたルーティーン。
ここも群を抜いてぶっ飛んでおり、値段を見ずに片っ端から手に取りいつも金額は1万円をゆうに超えてしまいます…
そして今年はと言うと、「元旦には行きません!!」と高らかに宣言し、近所にある地元の小さい神社にでも行こうかなと思っていたのですが、娘さんを気遣ってくれた近くに住むご近所さんが初詣に娘さんを誘ってくださり、まさかの私PATAお役御免状態です。
実際のところは、本当に誘ってくれたのか娘さんが誘うように仕向けたのかはわかりませんが、有難いのは事実。
娘さんには「何処の神社へ行くかもわからないし、カフェラテやデパートも行けないからね。わがまま言わないでくださいね。お金も自分でお小遣いから全部払って、おみくじとお賽銭だけにしましょうね」と伝え送り出します。
爆上げテンションで帰還した娘さんに話しを聞くと、結局娘さんのスペシャルコースを堪能したとのことで、ご近所さんもまんまと術中にハマってしまったご様子…
唯一の進歩は、神社での爆買いを辞められたのみでありました。
実際にこれも娘さんの『小遣いで買う』という大前提がないと制御不能なようで、自分のお金が減ることに対しては「嫌だ!困る!」という感覚があるのですが、親や保護者的立場の人がお金を出すものに対しては、値段がいくらかどうかは全くもって彼女の知るところでは無くなってしまいます。
その他諸々編
上記の内容でなんとなくはご理解いただけたかと思うのですが、娘さんの性質として『執着(信じられないぐらいのしつこさ)』と『彼女自身の決まり事』がまぁ厄介であったりするわけです。
毎年当たり前のように食べるお節料理も、値段が幾らするものなのかわからないのにもかかわらず、東京から来てくれた亡くなった上司の部下の方に「お節今回も宜しくお願いします!」と元気いっぱいにお願いしてしまいます。
実際には亡くなった上司がお金をお支払いし送って貰っていたわけなのですが、娘さんにはそれらの経緯がわかるはずもなく、言われた側としてはお金の請求をそんな娘さんにするわけにもいかず、「今回だけはまぁ良いか!」と身銭を切り送ってこようとされていらっしゃいました。
今回に関しては未然に防ぐことが出来ましたが、娘さんにとっては『1度あったことは未来永劫そうなるもの』と認識してしまうので、有難い善意であったとしても先々その方にとっての負担へと変わってしまう恐れが懸念されます。
同様に『お年玉』も最たるもので、近所に住む亡くなった上司の部下の方へと12月頃から連絡し「お年玉はいつ頃持ってきますか?」と催促をするようになってしまいました。
娘さんの年齢は今年で38歳なので、「もうお年玉を貰える年齢ではありません。お年玉はもう終わりです」と可哀想ですが伝え、このルーティーンを断ち切った次第です。
他にも年賀状をとにかく書きたがってみたりと、何かにつけてお金がかかるハイソ過ぎる困りもののお嬢様です…
大人の事情
前回の記事にも書きましたが、12月から自宅のグループホーム化へ向けた工事が始まりました。
こちらは消防法に則った工事となっており、非常ベルの設置、火災警報装置の設置、非常誘導灯の設置などが主なところになっています。
グループホーム化する自宅には個室が3部屋、そこに加えて、敷地内に建てた娘さんの家を含めた4名の入居を当初予定していたのですが、役所へ行き諸々の規定を再度確認すると、敷地内ではあるものの離れた建物は同じ施設として含めることが出来ないということが判明いたしました。
これが何を意味するのかと言うと、敷地内に建てた娘さんの家を除外し娘さんが実際には住まないものの1部屋を娘さんの部屋とし、残りの2部屋に2名の入居者をいれるというやりかたになるということです。
まぁしょうがないけど、現場レベルで上手く出来ればそれでいいのかと勝手に思っていたのですが、グループホーム側の見解は異なるものでした…
「4名じゃないと(嫌だ)…」
はっきりとしたことはおっしゃられないのであくまで推察にはなってしまいますが、どうやらビジネスとして考えたときに、グループホームとしては3人よりも4人のほうが人員の配置を含め国や市からの補助が多くなり経営上運営しやすいのだろうということが伝わります。
なるほど。
色んな大人の事情があるわけですね。
こちら側としてはお願いする立場なのでここでゴネるのは得策ではありません。
ということで、新たに1部屋を確保するために2つあるリビングの1つをパーテーションのような壁を付けて区切り、もう1部屋を作るための追加工事が決定したわけであります。
ただただ時間だけが進む
私PATAの当初の目論見では2023年の暮れにはもろもろの準備が整い、東京へと引き上げられると踏んでいたのですが、ことは全くもって思うように運ばず、気付けば1月、2月、3月と時間だけが進んでいるような状態です。
先程上章で記した通り追加での工事が決定したことにより、更に後ろに伸びてしまったわけでして…
実際にこれが決まったのは2024年1月上旬です。
そこから、不動産屋さんとの打ち合わせを行い段取りをお願いしているのですが、まぁ皆さん漏れなくお忙しいことこの上ないんですよね。
暇なのは私PATAだけでして、早くやりたいとは言っても基本は『お願いする → 待つ → やってもらう』といった流れでしか物事は進んで行かないので、本当にしんどいです。
特段やることはないけど、基本的にはずーっと拘束されている状態です。
翼をもがれた鳥とでも言いましょうか、敷地内で歩き回る分には構わないけど飛んで行くのは許されないみたいな。
毎日の食事の準備と、娘さんと週に3回の買い物。
わしゃ家政婦さんか!と。
とは言え、全くもってやることがないかと言われれば実際にはそんなこともないので、上司の車の売却、菩提寺への30年分の管理費や先々の法要の支払いのお願い、墓石への戒名彫り、相続税の手続き、金融機関の整理、亡くなった上司の法人の決算手続き、法人の引き渡し、自宅の水回りの清掃をハウスクリーニングへ依頼するなどの細かいことをしている日々です。
今月中(2024年3月)には何が何でも東京へと帰りたいと思ってはいたものの、役所へのグループホームの許可申請に1か月かかるという事実もわかり、なかなかの泥沼にハマっていることがわかり、少々、いや、かなり気が狂いそうな状況です。
まとめ
生前上司が私PATAを呼びよせる際に言った当初(2022年10月頃の話)の期限は「半年から1年間程度八戸に来てくれないか?」だったのですが、気付けば「(娘さんに向かって)PATAくんは2024年の春頃まではいてくれるよ」と、YESと言った記憶はありませんが徐々に話が変わっていき、今現在それが現実のものへとなろうとしています…
まんまと上司と娘さんにハメられているわけです。
内容が内容なだけに簡単に蹴りが付くような話では無いことは大前提としてあるのですが、八戸へ来て上司と過ごした期間が10か月、上司が亡くなってからが半年です。
いやはやこんな長丁場になるとはこれっぽちも考えていませんでした。
#6の記事を書いている過去の自分に教えてあげたいもんですね。
めちゃくちゃ嫌がるだろうなーwww
強烈な牛歩ではありますが、とりあえずは前進していると自分に何度も言い聞かせて、今しばらく与えられたミッションを遂行していこうと思います。
それでは、最後までお付き合いありがとうございました!!
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