地震大国日本!!被災者として思う語りたいこと!!

トレンド

2023年2月6日に発生した『トルコ・シリア大地震』の様子が連日テレビで映し出されております。

マグニチュード7.8の巨大地震による被災者はトルコ・シリアを合わせて2,600万人以上死者は50,000人以上(2023年2月28日時点)推計されています。

心からのお見舞いとご冥福をお祈り申し上げますとともに、一日も早い復興を心よりご祈念いたします。

 

2023年トルコ・シリア地震救援金はこちら

 

私たちが住む日本も地震が多い国として有名ではありますが、そんな中でも私PATAが被災した『阪神淡路大震災』『東日本大震災』について記事を書いていきたいと思います。

 

 

それではご覧ください。

 

スポンサーリンク

 

※この記事には広告プロモーションが含まれています。

1995年1月17日『阪神淡路大震災』

早朝5時46分にマグニチュード7.3の地震が発生しました。

お亡くなりになった方は6,000人を超す非常に大きい災害だったと言えます。

改めて、ここに被災した全ての方々にお見舞いとご冥福をお祈りいたします。

 

スポンサーリンク

 

『阪神淡路大震災』体験記

当時私PATAは小学3年生で兵庫県西宮市在住

父・母・姉・弟に自分を加えた5人で小さなマンションに暮らしていました。

 

ガラスのたわむ大きな音で目を覚まします。

二段ベットの上段に寝ていたのですが、暗闇の中では何が起こっているのかわからず、非常に怖かった記憶があります。

それに加えて体を起こそうにも体が動かせず、半ばパニックに陥っていた状態です。

途方もなく長く感じた揺れが納まったころに、部屋のドアが開きロウソクの灯りを持った母親が「大丈夫?」と入ってきます。

この時にわかったのですが、漢字の『入』の字のような形で二段ベットにもたれかかった洋服ダンスの上に置いてあった荷物や段ボール箱が体の上に覆いかぶさり、動けなくなっていたのです。

家族全体でも大きいケガはなく、弟のみが頭に少し擦り傷ができた程度で済んだのは不幸中の幸いでした。

住んでいたマンションは外壁に大きな亀裂が数か所入ってはいたものの倒壊することもなく、こちらも不幸中の幸いでした。

 

外はと言うと、近くを走る高架になった高速道路は崩れ落ちていたり、隣の一軒家は倒壊していたりと、あまりにもショッキングな状態です。

 

神戸新聞NEXTより引用

神戸新聞NEXTより引用

 

電気・水道・ガスのインフラが停止していたため、通っていた小学校へ救援物資を貰いに行ったことを鮮明に記憶しています。

体育館では所狭しと避難者が横になっていたのも衝撃的な映像として頭に残りました。

 

神戸新聞NEXTより引用

 

救援物資のほかにプールの水をバケツに汲んで持ち帰り、トイレの排水用の水として利用したことや、電気の消えた暗いコンビニに100人を超す長蛇の列ができていたことも印象的です。

 

幼心に「只事ではないんだ!」と理解するのに時間はかかりませんでした。

時間の経過とともに同級生の不幸も次第に判明し、いつになったら元の生活へと戻れるんだろうかと薄暗い気持ちになっていたのを憶えています。

ちなみに当然学校へ行くこともできずに、この間のおよそ半年ほどの義務教育(算数で言うところの『速さ・距離・時間』辺りです)がごっそりと私PATAは抜けています。

ここから数週間の後に、私PATA家族は西宮市を離れ東京へ行くこととなったため、結果的には復興への道のりを実際に経験することはなく、現在に至ります。

 

2011年3月11日『東日本大震災』

午後2時46分にマグニチュード9.0の日本観測史上最大の地震が発生しました。

地震により発生した津波の高さは最大のもので40mを越す規模のものもあり、津波による影響で太平洋沿岸地域(特に福島県・宮城県・岩手県)に甚大な被害を及ぼしました。

それに伴い福島県においては原発被害も発生し、チェルノブイリでの原発事故と同程度の位置付けともされています。

お亡くなりになられた方は24,000人を超える大災害です。

付随する関連死を含めると更に人数は多くなります。

ここに改めまして、被災された全ての方々にお見舞いとご冥福をお祈りいたします。

 

スポンサーリンク

 

『東日本大震災』体験記

2011年3月11日早朝、上司とともに東京から青森県八戸市へと向かうために高速に乗ります。

 

当然ですがこの時点であんなに大きな地震に被災するとは夢にも考えていませんでした。

 

順調に東北道を走り進み、昼過ぎには宮城県の仙台でSAに寄り牛タン定食に舌鼓を打ち、残りの後半戦へ向けて出発です。

岩手県の盛岡手前辺りで給油をするためにSAへ。

給油をしてもらい、タイヤの空気圧を見てもらっている最中に携帯電話から聞きなじみのない警報音が鳴ります。

その直後に大きな揺れに襲われます。

車外にいたのですが、あまりにも凄い揺れのため立っていることができずに、車にしがみつき体を支えて揺れが納まるのを待ちます。

数十メートル先のSAの建物の中から、一斉に人が出てくるさまをどこか他人事のように見ていたのを憶えています。

 

その時点では、「大きい地震だったね!」程度の感覚だったので実際にはどのような状況かは理解できていませんでした。

地震の直後には停電していたこともあり、私達のあとに給油しに入ってきたBMWは給油することができなかったのを見て「ラッキーだったね!」とそんな話を上司としていたように記憶しています。

高速上へと戻り運転を開始するもすぐに『次の出口で降りてください』との文字が目に入り紫波ICで東北道を降り、下道にて八戸を目指すことに。

 

信号機は点滅することなくただの鉄の塊と化し、街灯のない暗い道をひたすら走り続けます。

夜遅くに目的の青森県八戸市に到着するも、街は真っ暗のゴーストタウン状態。

予約していたホテルも宴会場での雑魚寝しかできず、食事もおにぎりしか出せないとのことでした。

とりあえずとの思いで関連の会社へと行き、そこのスタッフの方から2月のバレンタインデーでもらったチョコレートの分け前を夕食替わりにいただき、この日は車中泊にて就寝。

雪が降り非常に寒かったことと、助手席で眠る上司の強烈なイビキに眠れない一夜を過ごしたことを思い出します。

 

翌朝になり、起こったことの大変さが徐々に実感へと変わり始めます。

電波状況が悪くなっており、メールを受信するもののタイムラグが酷くあり、遅れてメールが届きます。

身を案じたメールが続々と送られてくるものの、携帯電話のバッテリーは無くなり停電していたこともあり充電することさえできません。

 

上司とともに八戸市を車で回り、海の近くへと行くと被害の大きさが色濃く浮かび上がってきました。

 

道路上がどことなく砂っぽい

壁に乗り上げる軽自動車

海のそばはご覧のあり様

陸に船が打ち揚げられています

映画のワンシーンでも見ているかのような光景

 

「こんなことになっていたのか?」が正直な感想でした。

街中を走っている際には乾いていたはずの道路が、海に近付いていくと道路が濡れていることに気付きます。

「津波がこんなところまで来るなんて」と驚きを隠せません。

 

そして、その日の夜には電気が届くようになり、テレビの中では津波による被害の残酷さが映し出されていました。

何を感じて何を思えばいいのかわかりませんでした。

あまりにも無慈悲でいたたまれない、絶望的過ぎる映像の数々にただただ言葉を失うだけです。

 

その後の私PATAと上司は、東北道は依然通行止めのままだったので、青森市を経由し秋田→山形→新潟を経由しなんとか東京へ戻ります。

 

日本海側は雪が凄かった…

 

途中ガソリンが買えない状況や、大雪の影響でのホワイトアウトなどなんやかんやと色々あったのですが、無事に戻ることができた次第です。

 

救われた命として考えること

たまたまではありますが、『阪神淡路大震災』『東日本大震災』に被災した私PATA。

これまたたまたまではありますが、今もこうして元気に暮らすことができています。

 

地震以外も含めてにはなりますが、災害時には無償の様々な人の善意や厚意に支えられて、被災した方々はちょっとずつではありますが復興の道を歩んで行かれます。

私自身もボランティアの方々や支援して下さった色々な方々の恩恵に与り、喉の渇きや飢えを凌ぐことができました。

本当に感謝してもしつくせません、ありがとうございました。

 

本来であれば、私自身も何かあれば現場へかけつけて力仕事でも炊き出しでもお手伝いをしたい気持ちはあるのですが、なかなか現実では自分のことで手一杯です。

やれることは限られてしまい、ほんの少しでもと寄付をすることぐらいです。

これが現場レベルで反映されていくらかの役に立っていれば幸いと願うばかりです。

 

ちなみに、東日本大震災のあとに会社でフリーマーケットを行い、商品の値段は購入者が決める方式を取り、その売上金を義援金として全額寄付をするイベントを開催しました。

お客さんも従業員も、それだったらとちょっといい商品を提供してくれたり、購入するお客さんもそれだったらと割高な値段で購入してくれたりと、暖かい支援の輪を感じる瞬間でした。

 

今回の『トルコ・シリア大地震』も他国とはいえ、非常に凄惨な状況が見受けられます。

一日も早い復興を願ってやみません。

こちらは記事の冒頭に貼り付けていたリンクです。

 

2023年トルコ・シリア地震救援金はこちら

 

日本赤十字社による受付になっています。

何かしたいということであればぜひご覧ください。

 

他にもコンビニのレジの脇には同様の募金箱の設置もあるので、小銭を入れてみるのも人助けになるかもしれません。

 

スポンサーリンク

 

まとめ

『阪神淡路大震災』から約28年、『東日本大震災』から約12年経過しましたが、リアルタイムを知らない人も多くいらっしゃいますよね。

「怖かった」、「大変だった」も重要ではありますが、そこから学んだものを継承していくことが非常に重要だと感じています。

大きな災害が起こった際に、人災での被害や争いが起こることのないように、みんながちょっとずつだけでも興味や関心を持ち、手助けできるようになれれば最高です。

 

「一体全体お前は何様なんだ!」とお叱りを受けてしまいそうですが、せっかくの経験をしているので、私PATA如きでは何の足しにもならないような微々たるパワーしかありませんが、これをたまたま目にしたみなさんの中に少しでも「何かやれるかも!」と思っていただける方が現れたらこんなに有難いことはありません。

『やらない善人』よりも『やる偽善者』のほうに私PATAはなりたいと思っています。

 

 

それでは、最後まで長文にお付き合いいただきありがとうございました!!

コメント

カテゴリー

pata37

37歳にして遅咲きのニートデビューを果たしました!!
独身、無職、肥満を武器にブログに挑戦します。
面白いこと、お金のこと、音楽のこと、映画のこと、そんな辺りを書いて行けたらな―と思っています。

pata37をフォローする
タイトルとURLをコピーしました