いきなりですが、皆さんは健康ですか?
私PATAは今でこそおデブちゃんで尿酸値爆高の不健康なわがままボディですが、有難いことに風邪をはじめ今までの人生の中でこれといった大病を患うことなく、健康的な日々を過ごして参りました。
そんな私ですが人生で一度だけ入院をしたことがあるのです。
そうです。
タイトルにあるように骨髄バンクのドナー登録をきっかけに、実際に骨髄を提供したことがあるのです。
今までの人生の中で自分以外の経験者にお会いしたことがなかったので、せっかくなら記事に残し参考にしていただこうかなと。
提供する側、提供される側、その周りにいらっしゃるご家族など、立場が違えば思いも違うでしょうが、ほんの一例として共有していきたいと思います。
骨髄が必要になる場合とは?
まずはどのような方が骨髄提供を必要としているのか?
白血病などの血液疾患の治療として造血幹細胞移植(特に骨髄移植)が必要な患者のため
引用元:骨髄バンクwikipedia
とのことです。
ざっくりで申し訳ありませんが、wikipedia先生に細かくリンクが貼ってありましたので、ご参照ください。
骨髄バンクとは?
そして、骨髄バンクとはなんぞや?と。
血縁関係のない健康な人(非血縁者)から提供される骨髄液や末梢血幹細胞を患者にあっせんする仕組み、およびその業務を担う公的機関。
引用元:骨髄バンクwikipedia
とのことですパート2。
詳しくはこちらをどうぞ。
骨髄バンクへの登録
実際に私PATAがドナー登録をしたきっかけは、遠い昔にお付き合いをしていた女性と一緒に献血デートをしたところから始まります。
非常に出来た女性でして「献血しないとダメなんだよ!」と教えてもらい何度か献血をしに行っていたわけです。
献血している時間が30分程度あり、その間にマンガを読んだりしてまったりと過ごすのですが、たまたま目に入った骨髄バンクドナー登録の冊子があり、「良いことついでだからやっとくかな!」と登録。
同じようにその場にいた彼女も登録をしていました。
他にも理由があり、大好きなX-JAPANのギタリストであるhideが難病を抱えるファンの真由子ちゃんとの交流をきっかけに骨髄バンクへ登録をしたことを知っていたので、馬鹿っぽい話ですが真似をしたという感じです。
AERA dot.の福井しほさんが書かれているこちらの記事もあわせてお読みください。
実際に骨髄を提供する
そして、綺麗さっぱり忘れていたある日、見知らぬ電話番号からの着信が。
「PATA様の携帯電話ですか?骨髄バンクなんですが、お手紙は届いていらっしゃいますでしょうか?」
との内容です。
通知を受け取る
骨髄バンクへ登録した数年後に引越しをしていたため、骨髄バンクからの郵便物が届かない状態になっていました。
その届くはずだった郵便物の内容が、『あなたの型と合う患者さんがいらっしゃいます、提供する意思はありますか?』といったもの。
後日、新しくお伝えした自宅へと封書が届き、提供する旨を記入し返送いたします。
面談と検査
その後はスケジュールの調整へと進みます。
自宅近郊の骨髄提供手術が可能な病院のリストの中から病院と日時を設定し、コーディネーターと担当医との面談を迎えるわけです。
コーディネーターは骨髄バンク側のスタッフの方で、最初から最後まで変わることなく担当してくださいます。
基本的にはこのスタッフの方と連絡を取り合い段取りを組んで行きます。
ここから骨髄提供をするまでに、複数回の病院での面談や自己血採血等があり日中の時間確保が課題になります。
仕事を気軽に休めなかったり抜け出せなかったりする人は、どれだけ提供者として協力したいと考えていても、周りの理解や協力がないと非常に厳しい障壁になるように思われます。
第一段階として、骨髄移植のうんぬんかんぬんを事細かに教わります。
健康体にメスを入れることになるので、肉体的なデメリットや今までの術後を含めた様々な症例や症状をお聞きします。
他には骨髄には大枠での型があり、仮にその大枠での型が合っていてもより細かい型が一致していないと、どれだけ骨髄提供を望んでも弾かれてしまう事もあるんだとか。
最初に届く『型が合う』と言われている部分はあくまでも大枠の部分を指しており、最初の面談時の検査の結果によっては適合不可のジャッジをもらいます。
実際のところ私PATAはこの段階では、「型が合わなきゃ出来ないのかー」と軽い気持ちで始めていたように思います。
ちなみに、血液型が異なっていても骨髄の型が同じであれば移植は可能です。
骨髄をもらった側の人は、術後の血液型が提供者と同じになるようです。
お金について
これも担当のコーディネーターの方が事細かに教えてくださいました。
病院へ通う際の交通費、入院費用、万が一の際の生命保険等の予算は、依頼者側の負担になるそうです。
自分で聞いておいて「聞かなきゃ良かった。失敗したな~」とは思ったものの、せっかく良いことをしようとしているので、より一層良い人になりきるために交通費等の精算は断ることに。
入院する際には5,000円が支給されるのですが、これも断ってみたりして。
まぁ我ながらカッコつけたかったんでしょう…
真似しろなどと言っているわけでは決してありませんので悪しからず!!
適合確定と最終面談
上記でもお伝えしたように、骨髄の型の最終結果の連絡が入ります。
最初の大枠の型が一致していた人は20人程度いたようですが、最終的な適合はなんと私PATAのみ。
ちなみに、ここで断ることも可能です。
が、コーディネーター曰く「再度骨髄バンクの登録者の中から適合する提供者を探しますが、恐らく状況は相当厳しいでしょう」とのこと。
当然断る理由もないので、提供する意思を伝えて最終面談へと進みます。
この最終面談で必要なのは『ご家族の同意』です。
仕事を休む際の休業補償もなく、健康体にわざわざメスを入れるリスク等を判断するわけです。
今も当時も私PATAは完全無欠の独身なので、姉に同意面談をお願いし「YES!とだけ答えてサインをしてくれ!」と伝え無事完了です。
骨髄提供をする際の一番の難関はこの『ご家族の同意』を得る作業のようです。
他にも職場での協力と理解へのハードルが非常に難しいとのこと。
私PATAが当時勤めていた会社は葬儀屋です。
お亡くなりになった人のお世話をすることはあっても、医者でもない私に人命を救うことは出来ません。
人生にたったの一度でも人の命を救えるこんな光栄な機会はありません。
って感じのプレゼンを上司にしたところ、「こんなギリギリで言うなんて汚いな。心配だけど、とても立派なことだから仕事は気にするな!」とこちらも見事クリア。
いよいよ手術
2月の寒い時期に手術が決まります。
コーディネーターからは「風邪とインフルエンザにはくれぐれも注意して、体調管理の徹底を宜しくお願いします!」と再三再四言われます。
これがもうプレッシャーでプレッシャーでしょうがなかった…
手術に合わせて依頼者側は体調や治療のコントロールをするらしく、手術前の段階に著しく免疫力が低下するためかなりのリスクを伴うようです。
当然と言えば当然ですが、ドナー側への健康面での配慮は盤石なので何かあれば即中止なのでご安心を。
だからといって、「はいそうですか!」となるわけにもいかず、めちゃくちゃ緊張していたのを思い出します。
私PATAの入院の日程は3泊4日です。
部屋の中にはトイレとお風呂までついている完全個室です。
依頼者さんありがとうございます…
一日目は何をすることもなくのんびりと過ごし、二日目にいよいよ手術です。
ドラマである例のやつです。
手術室へと運ばれ天井にある眩しい照明を見たところで記憶がプツリと途切れて、次に目を覚ましたのは病室。
腕には点滴につながれたチューブ、口にはダースベーダー的なシュコーシュコー、リトルPATAにはやめてよと伝えていたはずのおしっこ管が。
人生初のナースコールを行い、点滴のみの軽装へとチェンジ。
尿意を催し術後のヘロヘロの身体のままトイレへと向かいます。
そして衝撃の事実を突きつけられます。
「あそこが痛すぎておしっこが出ない!!」
尿道に七味唐辛子をすりこまれたかのような灼熱系の激しい痛みです。
それに加えて術後の猛烈な貧血のため、トイレにへたり込み全く動けなくなってしまいました。
手術の際に事前に準備していた自己血を2リットル程輸血していたのですが、顔面蒼白の尿道灼熱のダブルパンチです。
術後の状態
そして実際に行った手術の内容についてです。
お尻とウエストの間の辺りに、ボールペンの芯ぐらいの針を刺して骨髄を採取していきます。
一度に4cc程しか抜く事が出来ず、刺した内部で針の角度を変えて抜き差しを250回程繰り返し、約1リットルの骨髄を抜き取ったわけです。
ちなみにこれを二か所から行い合計2リットル程の骨髄を採取いたしました。
術後骨盤には骨のかさぶたのようなものが出来るので、若干その部分が膨らんでしまいます。
そして、痛みの問題です。
事前にお医者さんとコーディネーターから聞いていたのは、術後多少の痛みは残るもののほとんどの方が、退院当日か翌日には職場復帰しているといった話が大半でした。
ところがどっこいです。
もともとの腰痛持ちが災いしたせいか、私PATAは術後三か月は仰向けに寝ることは出来ず、時速2km程での腰を曲げてのよちよち歩きを続けることになってしまいます。
とにかくずーっと痛かった。
腰痛持ちの方にはピンと来ることかと思いますが、腰の痛みとは不思議なものでジワジワとほんの少しずつ良くなっていく性質なので、痛みがあるその瞬間では「一体全体いつになったら治るんだこれは?」と毎日腰痛との戦いでした。
誰からも強要されることなく自分の意志でやったため、職場に迷惑をかけるわけにも行かず、この三か月間は本当にキツかった…
実感が湧く瞬間の到来
個人情報の関係や匿名性も厳重に管理されているため、提供する側も提供される側も相手の情報をほとんど知ることが出来ません。
『九州に住むわりと大柄な40代男性』
唯一これのみが教えていただけた情報でした。
手術前後を通して一方通行のような段取りでことは運んでいくのですが、手術が終わった数か月後に骨髄バンクから封書が届きます。
個人を特定する文言等がないように検閲済みではあるものの、私PATAが骨髄を提供した患者さんの奥様よりお手紙が届いたのです。
便箋には感謝の言葉がびっしりと書いてあり、「あぁ!本当に出来ていたんだな!」と実感がこみ上げます。
骨髄バンク内の規定により、お互いに1通までの手紙でのやり取りができるとのことで早速返信のお手紙を送った次第です。
年賀状以外のお手紙をもらうことがほとんど無かったので、このお手紙は人生で一番嬉しいお手紙になったのは言うまでもありません。
他には、厚生労働大臣からの感謝状が届きます。
これに関してはそんなに嬉しくはありませんでしたwww
最後に
いかがだったでしょうか?
私PATAが骨髄の提供を行ったのは2013年だったので、もしかすると今現在とは若干の違いがあるかもしれませんのでご了承のほど願います。
そういえば、この入院の最中に28歳の誕生日を一人病室で迎えたことを思い出しました。
同じ営業所に勤める会社の人と姉に伝えただけだったので、寂しい誕生日をベッドの上で過ごしていたような…
ちなみに、骨髄の提供には年齢制限があり18歳以上~54歳以下までの健康な方といった縛りがあります。
BMIが高過ぎたりする肥満気味の方は、リスクが高いとみなされてお断りをされてしまいます。
実は手術以降2回ほど「提供しませんか?」のお手紙を頂戴したのにも関わらず、私の怠惰な生活による体重とBMIチェックに阻まれ、お断りをされてしまいました。
誰かの役に立つことも出来ない不甲斐なさを感じています…
健康だからこそ救える命があるかもしれません。
肝に銘じて人を救える健康体を手に入れたいと思います。
少しでも参考になれば幸いです。
最後までお付き合いありがとうございました!!
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