『上司とPATAの終活記録』第6回の記事を更新して参りたいと思います。
あっという間に前回の更新から約2か月が過ぎてしまいました。
この期間の間に様々なことが起こっていましたので、報告をまとめていきたいと思います。
お時間がありましたら、前回の記事から読んでもらえると幸いです。
それではご覧ください。
飲食ができない
以前より飲み食いする際には、時間をかけてゆっくりと丁寧に噛み砕き、細心の注意を払いながら飲み込むってことを意識していたのですが、ここへ来て遂に、飲食物が喉を通らなくなってしまいました。
食べづらい・飲みづらいなどの兆候は少なからずはあったものの、首の角度や食べるものを選別さえすれば飲み込めていたものが、ダメになってしまったのです。
ちなみに上司が食べていたものは、絹ごし豆腐、納豆、めかぶ、どろどろに煮込んだおかゆなどでした。
身体の中では癌細胞と免疫が戦っているせいか、食べても食べても体重が減少していく状態が続いていたのですが、食べられなくなってしまったことにより顕著に体重減少が見られ、体重としては45~47kg程度しかありません。
男性としては身長の低い上司ではありますが、1番太っていた頃には80kg前後の体重があったので、当時を知る人間からは考えられないほど痩せてしまっている状況です。
他の症状で言うと、『唾液』を飲み込むことも困難になっています。
水が飲み込めないので当然と言えば当然かもしれませんが、話をしていると蟹のように口の中に泡がたまり、最後は吐き出さなければなりません。
食道にある癌が大きくなり過ぎているせいか、本来であれば食道を通るべきものが気管のほうへと流れてしまい、むせて咳き込んでしまうのです。
一度咳き込んでしまうと、喉が酷く痛み、延々と咳が治まらなくなってしまいます。
この症状が出始めて以降、長時間の睡眠をとることも難しくなってきている状況です。
一連の唾液を吐き出すことが眠りながらでは出来るはずもなく、時折身体を起こし唾液と痰を吐き出す作業を一晩中行っています。
現在、口から行う栄養補給は一切できないので、鼻から胃に通したチューブを使い栄養を補給しています。
『エンシュア』と呼ばれる経腸栄養剤です。
医師の処方箋が必要なものになるので、一般での購入は不可の商品です。
このエンシュアを一日に3缶、シリンジ(注射器みたいなやつ)を使い鼻のチューブから摂取している状態です。
ちなみにエンシュアのカロリーは1缶あたり250mlで375kcal。
他には気休め程度に、iMUSE、豆乳、炭酸水を同様の手順で摂取しています。
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食事を摂れなくなって1か月以上の期間が経過していますが、体力の低下はみられるものの身の回りのことは全部こなせるので、入院できるわけでもなく、寝たきりになるわけでもなくと、悩ましい状態が続いています。
でも、その時は間違いなく刻一刻と近付いているといった状況です。
親戚との顔合わせ
上司にはお姉さんと妹さんがいるのですが、現在の状況を『病気になった』程度でしか伝えておらず、今回全ての状況を伝えることにいたしました。
病気のこと、今後の娘さんのこと、私PATAのことなども含めてです。
お姉さんも、妹さんも相当ショックだったようで、想定していた状況よりも深刻な状況がわかり、動揺を隠しきれない様子でした。
また、上司の故郷には90歳を超える上司のお母さんもご健在なのですが、今の上司の状況は伝えないで欲しいとだけお願いをすることに。
状況的に特段手を貸せることもないと悟り、私PATAに「引き続き宜しくお願いします」と頭を下げて、数日間の滞在を終え帰路へと立たれた次第です。
他にも、2020年に他界している上司の奥さん方の親族にあたる甥っ子さんも来てくださり、同様の状況説明を行いました。
別れ際に「もう会って話すのもこれで最後かもしれないな」と握手を交わす二人の様子は、何とも言えない寂しさを感じずにはいられませんでした…
私PATAとしても、万が一が起こってからの「はじめまして。実はですね、、、」を薄っすら想像していたので、これで上司の親戚関係との顔合わせは完了したので、不安だった点が解消されたのは救いだったように思います。
グループホームへ向けて
そして、この『上司とPATAの終活記録』の中でもっとも難しい課題である娘さんについてです。
前々回の#4の記事に細かい詳細は記してあるのですが、娘さんには『知的障害』と『自閉症』があり、周りの手助けなしには暮らしていくことができません。
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そのため、上司亡き後の計画として、現在住む家をグループホームに借り上げてもらい幾許かの家賃を貰いつつ、そのグループホーム管轄の元で娘さんは生活していく流れを計画中です。
ちなみに娘さん自身は借り上げしてもらう住宅には住まずに、敷地内に別の家を建ててそこに住んでもらいます。
こちらの家も、当初は9月完成予定だったものが不動産屋さんの配慮のおかげでゴールデンウィーク明けには見事に完成し、引き渡しも無事終了している状態です。
そして先日、グループホームの理事長、不動産屋さん、上司、PATAの面々で今後の段取りを再度改めて話し合う場を持つこととなりました。
グループホーム化するにあたっての住宅の用途変更に伴い、必要となるのはスプリンクラーの設置です。
費用や設置時期の確認など、グループホーム側と不動産屋さんと相談し、上司亡き後に実行することに決定。
また、娘さんの家も完成したので環境に慣れさせるために早めの引っ越しをと検討していたのですが、上司が寂しさのあまり泣き虫モードになってしまうのでこれも上司亡き後に行うことに決定。
とりあえず、上司存命の間は特段の変化はなく今まで通りの生活をすることになったわけです。
上司亡き後の私PATAの負担はエグそうですが、「あぁでもない!こうでもない!」といった横槍が入ることもなさそうなのでまぁ良かったのかなといったところ。
上司も自分の先が長くはないということをしっかりと娘さんに伝え、見てくれ的な変化はないものの、色々と進展している状態と言えそうです。
娘さん自身も上司が病気だということは理解できても、実際にことの深刻さはそこまでピンとは来ていないので、やはり少しずつ進めていくことしかできない雰囲気です。
上司「お父さん、もう少ししたら天国に行っちゃうかもよ。」
娘さん「えー。まだわからないよ。ハテナだよ。」
みたいな会話です。
上司はすぐに涙を流して泣き虫モードに入ってしまうのですが、どちらかというと娘さんは飄々とした感じで、話はすぐに終了してしまいます。
傍から見ていると、歯痒いような、かと言ってどうすることもできないし、言葉にするのは難しいけど非常に難しい話だなとやっぱり思ってしまいます。
深刻になりすぎて泣きじゃくられても困るし、パニックで暴れられても困るし、かと言って「お父さんが天国に行ってもPATAくんと頑張るよ」と言われれば寂しくもあるだろうし、そもそも青森にずっと居続けることはできないわけだし。
結局のところ考えたって何が最善で最良かはわかりません。
とりあえず、私PATAのできることは『上司と決めてきたことをしていく』のみって感じですかね。
まとめ
上司ともたまーに冗談で「こんな回りに、もう時期死ぬ死ぬって言ってて、来年まで生きてしまったらどうしようか?」などと話をすることがあります。
『死ぬ死ぬ詐欺』になってしまうことは残念ながら無いとは思いますが、実際に期限が決まっていないことも、私PATAとしては正直なところストレスになっていたりもします。
上司には長生きして欲しいと思う反面、早く終えて東京に帰りたいと思っているのも事実です。
ゴールが見えていないと、暗闇をずーっと走り続けているような感覚になってきてしまいます。
年内には全ての予定を終えて引き上げたいなーと密かに思ってはいるのですが、先日上司と娘さんの会話の中に恐ろしい一言が。
上司「PATAはだいたい来年の春頃までは〇〇〇(娘さんの名前)と一緒に居てくれるから」
娘さん「そうですか。PATAくんと買い物行くから!」
えっ!?!?
怖っ!?!?
当初の予定では、2022年の11月~半年もしくは状況次第では1年間って言ってなかったっけ??
本当にあった怖い話でした。
引き続き頑張りますので、密かにで構いませんのでぜひ応援のほどよろしくお願いいたします。
それでは、最後までお付き合いありがとうございました!!
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