青森県弘前市出身のコント職人シソンヌのボケを担当する『じろうさん』が東奥日報内で連載していたエッセイがこの度書籍化されることになりました!
リンク
その名も『シソンヌじろうの自分探し』でございます。
2024年2月7日に東奥日報社から出版されております。
早速、感想を書いていきたいと思います!!
プロフィール
【名前】じろう(本名:大河原次郎)
【所属】吉本興業(東京NSC11期生)
【生年月日】1978年7月14日
【出身地】青森県弘前市
【血液型】B型
【身長】179cm
【コンビ】シソンヌ(ボケ、ネタ作り担当)
【賞レース】キングオブコント2014王者
弘前と暖かい家族が育んだ天才
リンク
じろうさんが書かれた『シソンヌじろうの自分探し』を読み終えた感想は、「やっぱり、大河原さんは面白い!!そして、変わってる!!」ってのが率直な意見でしょうか。
なぜ、大河原さんなどと呼ぶのかとお思いでしょうが、まずは下記の記事を一度ご覧くださいませ。
何を隠そう、当ブログの管理人こと私PATAも大河原さんと同じ東京NSCの11期生だった過去があるんですね。
僕自身、芸人として全くうだつが上がらずフェードアウトしてしまったので、現在では大河原さんと全くもって連絡も取っていませんが、NSC在学中には奇跡的に仲良くさせていただいていたこともあって、とにかくここまで売れた大河原さんのことを誇らしく思い、一方的ではあるものの尊敬していたりもするわけでございます。
たしか最後に会ったのは、同期のタカダ・コーポレーションの初単独の時だったかな?
「大河原さんルミネ凄いですね!!」
「(照れながら)わぁの好きなネタで出れてもう思い残すことないよー」
みたいな会話をした記憶があります。
そんな経緯もあるので、大河原さん自身は僕のことなどもう記憶にないかもしれませんが、あえて調子にのって昔ながらの『大河原さん』と呼ばせていただきたいと思います!
さて、本編に戻るのですが大河原さんの人格形成は幼き頃の家庭環境や喘息の持病、地元の商店やおばさんで構成されているということが、大河原さんなりの独特の世界観で綴られています。
病弱で運動音痴で休みがちとなれば、学生時代のヒエラルキー的には最下層に分類されてしまいそうなもんですが、『人を笑わせる』というお笑いの力が大河原さんの尊厳を保ち、楽しくも健やかな学生時代を送ることができたと伺えます。
当時弘前ではオンエアされていなかった『ごっつええ感じ』のビデオを北海道のお兄さんから送ってもらい、学校でその真似を披露して笑いを取っていたエピソードなどが書かれています。
どちらかというと人見知りでシャイでおとなしい印象がありますが、本書の中にある昔の家族写真の中では、大河原さん一人が変顔をしていたりと末っ子特有のお調子者っぽい一面があったのかもしれませんね。
他には、カツアゲされたあとのお姉さんの逞しいエピソードや、英語教室の細井先生に100人に1人の才能があると褒められた話、相撲の話、お団子の話と半径数キロ圏内で起こるほっこりとしつつも、笑えるお話が沢山登場しています。
僕の知る大河原さん
本書『シソンヌじろうの自分探し』とは大幅に脱線してしまうのですが、僕の知る大河原さんをせっかくなので披露していきたいと思います。
NSCに入学しほどなくすると、ネタ見せの授業が行われます。
最初に大河原さんの存在を認識したのは恐らくここが最初だったんじゃないかな。
当時大河原さんはピン志望だったのでピンでのネタ見せ。
確か『お祭り』のネタか『満員電車で痴漢される女性』のネタだったような気がします。
ネタが始まると空気が一変し、ネタを見ていた僕を含む生徒たちは大河原さんのことを「ただものじゃない!」と一瞬で理解したと思います。
めちゃくちゃ通る大きい声、滑舌の良さ、照れも恥もない憑依加減と演技力!
あまりにもレベルが高過ぎる衝撃的な大河原さんのデビュー戦に度肝を抜かされたのを覚えています。
そんな大河原さんと僕が仲良くなるきっかけになったのは『集団コント』の授業でした。
ある日NSC内の廊下にある掲示板に『●月●日八百屋さんをテーマに下記●名にてネタ見せ』と書かれた紙が貼りだされ、ランダムに決められた5~6名でネタを作り見せろという指示が出されます。
ここで偶然にも大河原さんと一緒になり仲良くなっていくことに。
凄い人と一緒にネタ作りやネタ見せを行っていたんだなと、いちお笑いファンになった現在はより強く感じています。
当然僕のことなんて覚えていらっしゃらないでしょうが、エド・はるみさん、チョコレートプラネット松尾さんとも同じチームになったことがあります。
僕がNSCをサボりがちになっていた頃、西大井の駅のホームでエドさんに「最近来てないでしょ!来ないとダメよ!」と声をかけてくれたこともありました。
えぇ…
完全に自慢してます!!!!!
大河原さんに戻ります。
集団コントの出来に関してはほとんど記憶に残っていないのですが、その後も仲良くなった大河原さんとの交流は続き、大河原さんが影響を受けた『シティボーイズ』やイギリスの『モンティパイソン』のDVDを借りたり、NSCの近所にあったパチンコ屋さんに行ったりとそんな関係が続きます。
リンク
リンク
若干記憶が曖昧になってしまうのですが、たしか演技の授業?だか何かで簡単な即興芝居を行うようなことがあり、大河原さんから「今度、何かあそこでわぁとやってみようか?」と誘われ、当時にしてはかなりスタイリッシュであるパソコン打ちした台本を渡されます。
その後、僕のフェードアウトが加速し、結果としてその渡された台本のネタを行うことはなかったのですが、そのネタと言うのがシソンヌファンならご存知あらびき団で披露していた『デカビタ、ビックル、ゴクリ、ボス』のあのネタでした…
このNSCの時代から数年後にあらびき団を見ていてこのネタが流れた時は心臓が止まるかと思いました。
どんだけ面白いネタなんだよ!!と衝撃です。
シソンヌファンの皆さんならお分かりいただけるかと思うのですが、シソンヌのネタは『演技力』と『間』に比重があるものが大半です。
ぜひ文字起こしをしてみてください。
ネタのセリフだけを文字にしても、どこで笑いが起こるのか想像できないはずです。
これを大河原さんのフィルターを通して、猟奇的な表現力と間を使って披露するとびっくり、あんなにも笑えるぶっ飛んだコントに仕上がるって仕組みなわけです。
リンク
あの時真面目にNSCを頑張っていれば、「僕もシソンヌになれていたかも…」と思わないわけではありませんが、まぁ長谷川さんの上手さには到底及びませんので、こうはなっていないでしょうね。
どうですか?
意外にちゃんと仲良かったでしょ?
大河原さんは忘れても、僕にとっては一生の思い出なので痛さ爆発で一生自慢し続けます!
大河原さん痛くてごめんなさい!
まとめ
『シソンヌじろうの自分探し』よりも自分の痛さ話が多くなってしまいましたが、本当に本は面白いのでおすすめです!!
リンク
文字も大きく一つのテーマに対してサクッと数ページで読み切れる作りになっているので、読書習慣が無い方でもビビることなく読めると思います。
現在僕はわけあって、青森県の弘前市ではありませんが八戸市という場所にいるので、お得意の一方通行な愛で「こんなタイミングで青森県にいる!これもまた何かの縁!」といびつなポジティブさでこちらを書いている次第です。
それでは、最後までおつきあいありがとうございました!!
コメント