人生何が起こるかわからない!?数奇な運命を生きる!!

PATA

私PATA、2022年11月現在37歳です。

年が明けて2月には38歳になります。

 

 

幼き頃に描いていた『大人』とは到底かけ離れた今の状態には、少なからず不安を抱いております。

 

ここ数年で人生の歯車が大きく動いている実感があり、「この先一体全体どうなってしまうんだろう?」とガラにもなくおセンチになっている次第です。

『人の不幸は蜜の味』という素敵な言葉が日本には存在しておりますので、少しばかり皆様方にお裾分けをしたいと思います。

それでは、私PATAの数奇な運命に少しばかりお付き合いくださいませ…

 

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2020年編

2020年頃からコロナ禍も含めて私PATAの人生がザワザワし始めたような気がしています。

よく聞く占いなんかでも頻繁に登場していた『風の時代』的なノリです。

ちなみに当時は葬儀屋に勤めていた頃です。

 

 

なんとなく40歳を目途に次の仕事を探すか独立したいよなーとか考えていた時期です。

 

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3月

2020年3月29日にお笑い芸人の『志村けん』さんがコロナ罹患によりお亡くなりになられました。

日本中が悲しみに包まれたので、当然私PATAだけが悲しかった話ではないのですが、本当にショック過ぎる出来事でした。

 

 

幼き頃から今に至るまで、個人的にずーっと憧れのスーパースターだったのであまりにも悲しくて悲しくて、精神的にも相当落ち込んでしまいました。

 

小学生の頃から自分は面白いと勘違いをしてしまい芸人を志し、いつの日にか共演したいなどと本気で思っていたぐらい憧れていたわけです。

 

 

未だに信じられない気持ちでいっぱいです。

 

11月

これまた悲しいお話になってしまうのですが、当時勤めていた葬儀屋の社長が56歳の若さで急死してしまいます。

圧倒的なカリスマ性と行動力で、人を惹き付けては離さない人でした。

 

 

社長が亡くなってからの会社は、全力全身であさっての方向へと舵を切りはじめ瞬く間に様子が一変してしまいます。

 

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2021年編

2020年の年末頃からコロナの第2波と呼ばれるものが叫び出されていた時期です。

そして年明け早々にまたもや悲しい出来事が起こります…

 

1月

2021年1月13日に私PATAの祖父が亡くなってしまいます。

冒頭にも記述した通りコロナ第2波が丁度ピークだったこともあり、関西圏で執り行う祖父のお葬式に参列することが出来ませんでした。

オバの旦那さんがコロナ陽性で入院しており、オバ自体も濃厚接触者となっていたなどの経緯もあり、より感染者の多い東京組は遠慮することとなりました。

 

幼い頃から男としては初孫にあたる私PATAを、相当可愛がってくれていた大好きな祖父だったので非常に残念なお別れとなってしまいました。

2020年の12月に訪問した際もコロナ禍の影響でお見舞いにも行けず会うことは出来ませんでした。

結果的に最後に会ったのは2020年の正月。

寡黙な人だったけどもっと沢山喋っておけば良かった。

 

10月

2010年の5月から勤めていた葬儀屋を10月いっぱいで退社することになります。

一緒に働く先輩や後輩、上司に至るまでみんな良い人達ばかりで、本当に恵まれた人間関係でした。

先代の社長の没後、唯一会社のやり方が気に入らずに遂に決断の時を迎えたわけです。

 

辞めること以外は何も決めておらず、「ちょっとのんびりゆっくりするかな!」と、華々しくニート生活へと突入していきます。

 

11月~12月

私PATAの思いとは裏腹に、青森県八戸に住む上司から連絡があり「八戸で仕事をしないか?」と誘われます。

「辞めた会社と同じ系列の会社で働くつもりはないです」と伝えるも、お得意の『断るの苦手キャラ』が発動してしまい少しだけならとお手伝いをしに行くことへ。

 

 

結局のところ二週間ほど手伝いをして、二週間は上司の話し相手をのんびりとする日々を過ごしたわけです。

 

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2022年編

そして2022年へと突入します。

2021年の暮れには八戸から東京へと戻り「晴れて憧れのニート暮らしだぜ!」と、休みと縁のなかった暮らしから遂にニート生活がスタートすると思いきや…

またもや悲しい出来事が…

 

1月

年明け早々のんびりと暮らしていた矢先に、早朝辞めた葬儀屋の上司から電話が入ります。

電話に出ると嗚咽を吐きながら泣きじゃくる上司。

私PATAの直属の後輩が、深夜に倒れて危篤との知らせを受けます。

 

頭が真っ白になり何も考えられなくなっていました。

夢見心地と言うか、上司の言葉が音としてしか聞こえず、意味が理解できないような状態です。

後輩とは言うものの年齢的には1歳年上の38歳です。

その知らせを聞く数日前に会っていたばかりでした。

 

「大変だけど頼むなー!頑張ってねー!」

「はーい!頑張りまーす!」

 

他愛も無いいつもの会話です。

後輩とは8年ほど一緒に働いており、家族や友達よりも長い時間を過ごしていました。

心無いことも幾度となく言ったし、散々怒鳴ったり怒ったりもしたけど、反面いっぱい遊びにも行きました。

感覚としては出来の悪い弟って感じです。

 

結局、意識が戻ることはなく彼は逝ってしまいました。

葬儀屋で勤めていた運命なのか、彼と付き合いの長い顔ぶれで彼のお葬式をして送り出すことが出来ました。

辞めていた私PATAでしたが、誰が文句を言うこともなく筆頭として携わることが出来たのがせめてもの救いです。

 

この後輩の突然の死は本当に辛くて悲しくて腹が立って、精神的にも肉体的にも厳しい1月となりました。

同時期にこれまた38歳の20年来の友人ががんになり、手術をすることになっていました。

後輩は意識不明の危篤、友人は手術だし、とにかく心が休まらずに心配で心配で頭がおかしくなりそうでした。

ちなみに友人は後に元気になっています。

思い出すだけで苦しくなる年明けの出来事でした。

 

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3月

またもや不幸です…

今度は私PATAの母親が亡くなってしまいます。

いつか機会があれば記事にしてみたいと考えているので細かく詳細は記しませんが、とにかくこの母親と私PATAは合わない性格だったのです。

 

高校1年生の頃から姉と家を出て別々で暮らしていたので、およそ20年は話すどころか会うこともなかったので、全くもって身内としての感覚がありません。

お互いに住所も連絡先も知らずだったので、他人と変わらない状況です。

そんな状況ではありますが、関西からオバも出てくるし面倒をかけるので一応ちゃんとおもてなしをしないとなと。

 

火葬場では、これまた連絡先を知らない弟1号と2号と10数年振りに再会を果たしたりなんかして、色々厄介なPATA家を久しぶりに感じることが出来ました。

 

4月

遂にゆっくりする瞬間が訪れます。

仕事を辞めて実に半年…

やっと正真正銘の憧れのニート生活のスタートです。

 

このタイミングでこちらの当ブログ『37歳ニートデビューPATAブログ』の開設です。

本来のイメージでは2022年の年明けにはスタートしている予定だったのですが、なんやかんやでこのタイミングとなってしまいました。

 

9月

あまりにも不幸が重なりお金を使うことが多く、ニート資金が心許ないなと思っていた矢先に、現在住んでいる『アパートの取り壊し』の通知が届きます。

2022年いっぱいはニートで乗り切ろうと謎の誓いを立てていたので、まさにこれは想定外。

「働きたくねぇな!」と内心グズってはみるものの、住む家が無くなるのを機に働くしかないかと腹を決めるわけです。

 

 

そして、なんとか面接にも受かり脱ニートが決定します。

 

10月

約11か月振りの社会復帰です。

深夜3時から4時の間に眠っていた生活から、0時から遅くとも1時には寝る規則正しい生活へのリハビリスタートです。

朝も6時半までには起床し7時半前には家を出る生活です。

 

憧れの土日休みも人生初の経験です。

毎週連休が来るなんて…

調教済みのため休みなく働くことがデフォルトになっていたので、この土日休みがまぁ新鮮です。

もはや学生が煙草を隠れて吸っているような、悪いことをしているような感覚です。

 

11月~現在

そして今まさにの2022年11月です。

私PATA、な、なんと青森県八戸にいます…

 

遡ることおよそ二週間ほど前。

引っ越しの準備を進めており、友人が働く不動産屋へと契約の手続きをしに仕事終わりに向かいます。

 

 

契約も無事終了し友人と食事をし帰路に着きます。

 

2021年11月編に登場した青森県八戸に住む上司から連絡が入ります。

電話の内容は、「甲状腺がん、膀胱がんになってしまった」と。

上司はがんで2020年3月に奥さんに先立たれており、現在娘さんと二人で暮らしています。

 

状況としてはあまり芳しくなく万が一があるかもしれないと言われたらしく、ひどく憔悴しきっている様子。

その理由は同居する娘さんです。

年齢は35歳なのですが、自閉症のため小学校3年生程度の感覚です。

身の回りのことも決められた仕事もこなせるのですが、お金を管理することや良いことと悪いことのラインが非常に微妙な感じです。

 

上司は自分に万が一があった際に、残された娘さんが生涯安心できるようにお金のことや今後の生活のことも決めなければいけないと話します。

それにあたって、「半年から1年ほど状況によりけりだけど青森に来てくれないか?」と私PATAに言ってきたのです。

ちなみに、この時の上司は甲状腺がんの影響で声がかすれており、非常に話すのも辛そうな状態かつ、泣きながらお願いしているって状況です。

 

働き出して1か月が経とうとしていたので近況報告程度と考えていたのが、まさか過ぎる展開です…

2022年3月に母親を亡くしたものの特段の介護や面倒を見ることもなく過ごしていました。

そんなこともあり「結局こうなる運命なのか」なんて思いつつも、散々親のように世話になっていた上司の頼みだし、上司の置かれている環境もわかるだけに断ることが出来ずに「わかりました」と伝えてしまいました。

 

友達と「びっくりドンキー美味ぇな!」とヘラヘラと過ごしていた数時間前の日常の日々が、遠い昔の記憶のような時空の歪みです。

眠れない夜を過ごし、翌朝会社の上司に退職する旨を伝えます。

特段の脚色もせずにありのままを伝えてみると、「PATAさんは親でもない赤の他人のために仕事を辞めて青森に行くってことですか?正直理解できません…」と至極真っ当な意見を頂戴しました。

ぐうの音も出ないとはまさにこのことです。

自分以外の人から同じことを聞かされたら間違いなくそう言うでしょう…

 

そして、入社1か月ぴったりを目途に退社する運びとなり現在に至ります。

11か月振りの社会復帰はわずか1か月で終焉を迎えてしまいました…

現在こちらの記事は青森県の上司宅にて書いているわけです。

 

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まとめ

37歳にして再就職をして、「さぁ今から!」と再出発した矢先にこれです。

青森の上司の後見人的な役回りをすることに異論はないし、自分で決断したことなので潔く、気持ちよく、協力をすることに何ら問題はありません。

 

が、しかしです。

1年の時間を使い38歳ニートになった自分の将来を考えるとひどく憂鬱になるのも事実です。

ニートだし、独身だし、金ないし、モテないし、太ってるし。

俺の将来の行く末や、俺の老後は一体どうなるんだろうか…

猫もびっくりの生活保護へまっしぐら&孤独死が頭をよぎります。

 

いやぁ、本当この先どうなっていくんだろうか。

不安しかありません。

上司が早く元気になってくれればそれが一番で、カムバック東京が出来るわけです。

とりあえず、医学の進歩に期待です。

 

こんなヘンテコリンな人生もあるんだよってことで、長々と書いてきたわけですがいかがだったでしょうか?

他にも細かいエピソードはあるのですが割愛して、強めなもののみをお届けして参りました。

長文にお付き合いいただきましてありがとうございます。

 

 

それでは最後に一言。

皆様方もくれぐれも健康には留意して元気に笑顔で楽しく明るく暮らしてください!!

 

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pata37

37歳にして遅咲きのニートデビューを果たしました!!
独身、無職、肥満を武器にブログに挑戦します。
面白いこと、お金のこと、音楽のこと、映画のこと、そんな辺りを書いて行けたらな―と思っています。

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